何を見ているのか

 先日、野球のコーチのバッティング指導を見ているときに、「最後まで絶対に球から目を離すな」という言葉が心に留まりました。「見る」ということが、とても大切なことだと改めて気がつかされたのです。考えてみると、「見る」ということは、「何に向かっているのか」ということと直結しています。車の運転で大切なことは何かと言えば「見る」ことです。技術がどうかということより「見る」ことが大切です。視線の先にハンドルを無意識に切るからです。自転車やバイクならもっと顕著で、見ている方向へ自然と進みます。同じように何事でも、私たちが見ている方向へ物事は進みますし、目を離せば決して捉えることなどできません。そして何を見るかを決めるのは私たちの心が何に向かっているのかということに他なりません。
 イエス様は「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。(マタイ5:29)」と言われました。ヨハネは「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(1ヨハネ2:16)」と教えました。私たちの目をそらすものがたくさんあるからです。
 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12:2)
これが私たちが見るべきところです。イエス様は何をしてくださったのか、何を望んでおられるのか、どのようにその足跡に従うように導かれているのか。そこから視線はずれてはいないか。また人との交わりの中でも、真摯に向き合っているか、見ているか。日々、朝ごと、夕ごと、己を振り返り、見るべきものに心と目を向けていきましょう。